一般にガクアジサイ(学名 Hydrangea macrophylla f. normalis)、アジサイ(学名 Hydrangea macrophylla var.macrophylla)、ヤマアジサイ(学名 Hydrangea serrata)、柏葉アジサイ(学名 Hydrangea qurcifolia)を合わせてアジサイ(紫陽花)と呼んでいます。ガクアジサイが原種でアジサイが分岐し、ヤマアジサイは少し別系統とされています。上の写真はガクアジサイが色づき始める過程です。左が咲き始め、右が両性花が咲いたタイミングです。この先さらに装飾花は色づいていきます。アジサイが咲いて色づいていく過程も楽しいものです。
アジサイの一種アナベル。非常に大きな球咲きの白い花を付ける品種で生長が早く非常に大きくなります。その大きさゆえに日本よりもアメリカで人気があります。花は装飾花がほとんどで両性花をつけません。増やすときは挿し木で増やすのが一般的です。
アジサイは大きく分けて上記の4系統ですが、それぞれの種類の特徴を捉え、上手く伝えるために管理人独自の分類をしています。葉と花の咲き方と個々の花の形を次のように分けています。
ヤマアジサイの名花、屋久島白雪。やや紅色を帯びた枝からまばら咲きで一重の白い花をつける。葉は甘茶葉で花の繊細さと釣り合いの良い大きさ。命名も管理人のお気に入り。意外なことに屋久島は比較的標高が高い場所で冠雪します。勿論、アジサイの時期には雪はありませんが、初夏のアジサイを冬の雪に擬えるのはなかなか粋な命名です。
多くのアジサイの名品を輩出する愛媛県(伊予国)。その一つ伊予獅子手毬。手毬咲きで薄紫~薄紅の花を付けます。よく観察すると装飾花と両性花が手毬の中に混在しているようです。葉はやや甘茶風のアジサイ葉。大きめの葉の上に小ぶりで良くまとまった花が付く様子を名前にしたものか。アジサイの中ではあまり大きくならず鉢植えや庭木にも人気の品種。
柏葉アジサイ スノークイーン。花は咲き始めは乱れ咲き気味に始まり、満開時はツリー咲に二重咲きの花を付けます。所謂アジサイとは少しイメージが異なります。また葉は大きな柏葉でこれも所謂アジサイとは異なります。柏葉アジサイはツリー咲に花を付ける種類が多く、分類上もHydrangea quarcifoliaとHydrangea macrophyllaとはやや離れています。
アジサイは万葉集で次の二首に採られています。
言問はぬ木すら味狭藍(あじさい)諸弟らが練の村戸にあざむかえけり(大伴家持 巻4 773)
安治佐為(あじさい)の八重咲く如やつ代にをいませわが背子見つつ思はむ(橘諸兄 巻20 4448)
上の歌は意味が難解ですが、「言葉を出さない木のアジサイですら色変わりするように、周りの人々のうまい言葉に騙されてしまった。」というのが私の解釈。アジサイが色を変えるイメージを押し出した歌かと。安治佐為の…の歌は「アジサイがたくさんの花を重ねた咲かせるように、重ね重ねいつまでも栄えてください、私は花を見ながらあなたを偲ぼう。」が私の解釈。こちらは多くの花を付けるイメージを栄えるに重ねています。両方の歌で紫陽花の印象は統一されておらず、観察した直感に基づいた歌で、万葉集らしいとも言えます。
時代が下って平安時代の歌、3首
あぢさゐの花のよひらにもる月を影もさながら折る身ともがな(源俊頼『散木奇歌集』)
夏もなほ心はつきぬあぢさゐのよひらの露に月もすみけり(藤原俊成『千五百番歌合』)
あぢさゐの下葉にすだく蛍をば四ひらの数の添ふかとぞ見る(藤原定家)
長くなるので訳は省略しますが「よひら」がいずれの歌にも読み込まれています。俊頼、俊成、定家共に概ね同時代の人でもありますし、俊成―定家は師匠―弟子の関係でもありますからある程度アジサイに対するイメージ「よひら」が共有されていたのかもしれません。
なお「紫陽花」の漢字を当てたのは源順が勘違いで和名類聚抄に記載したのが始まりという説もあるようですが、記載があるのは和名類聚抄の写本で、写本によってはこの記載がないことからかなり疑わしいというのが管理人の意見です。上記の平安後期の歌も仮名標記で伝えられていますし、「紫陽花」標記はもう少し時代が下るように思われます。
更に時代が下り、俳句の時代になると紫陽花は夏の季語として頻繁に読み込まれるようになります。
伊予時雨。小ぶりな四隅咲きに4~5弁、一重の装飾花をつける。両性花は濃い水色で装飾花は淡い水色。葉は中くらいの大きさのアジサイ葉。両性花と装飾花、葉の色の取り合わせが見所。「よひら」のイメージが強い品種。平安時代の「あじさゐ」のイメージか?