太い筒蕊が特徴的な昔からの品種。蕾の腰の座り方が特徴的。クチクラのあるやや濃い緑の葉の中にポツリと白色の花をつける。 花弁はやや小さくふはなく花弁元から開き、花弁先は開き先端がやや反る。 蕊は大ぶりだが柄は白く先端のみ黄色。全体的に「濃い白色」の印象で茶花向き。(写真 都立大島公園椿園)
窓の月(まどのつき)は加茂本阿弥と同種とも、黄みがかった麩が入ることから別種ともされますが非常によく似た品種です。(写真4-5枚目 小室山公園つばき園)
このツバキは加茂本阿弥と書いて「かもほんなみ」と読みます。 言語学の難しいことは分かりませんが、発音は烏丸と書いて「カラスマ」と読むような京都の言葉を彷彿させます。 特徴的な蕾の座り方は本阿弥光悦の焼き物「不二山」という作品にも見立てられたか。
窓の月は私の目から見るとほとんど同種に見えます。但し日本に伝わる「四十八手」に窓の月があり、 その連想を避けるために区別せずに加茂本阿弥と呼んでいるケースもありそうです。
余談だが本阿弥光悦の話をする。 この男、京の賀茂に居を構え、元々刀の目利き、砥ぎでは知らぬ者はなかったが、焼き物でも名が知られるようになっている。 焼き物にというのはやや不正確だろう。「茶の湯」に踏み込み「こないなおもろいもんを人任せにはできひん」とそのすべてを自分の手で誂えようとし、そこには焼き物も含まれる。
元和も2年目まだ寒いころ、光悦を俵屋宗達が訪ねた。
「戦騒動も終わってようやっと落ち着いてろくろ蹴れるようになりましたやろ。これ土産や。」
宗達が差し出したのは、濃い緑の葉に囲まれてまだまだ咲きそうにない硬い蕾の大ぶりな枝。
「そらおおきにだすけど、なんぼ言うてもこら早すぎだっしゃろ。花を待ちきれまへんやろ。」
「そう言うやろ思うた。けどな、枝持って上向けてよう見てみい。」
刀をそうするように、椿の枝を矯めつ眇めつし、今は作陶に凝っている光悦は
「この蕾の座りだすなあ。言うたら、畳の上の茶碗みたいやなあ。」
と宗達の方に向き直った。我が意を得た宗達が続ける。
「それだけやない、腰の上と下の色の加減がまたええやろ。木の一番ええやつを選ってきたよって。」
「こないな茶碗焼いて、お点前で使うて、この椿も飾って、お客はんが早すぎる言うたら茶碗見なはれって説教するんもよろしいなあ。」
と冗談めかしたが、意外に本気だったらしく、この後光悦は腰が座って上半分程度白釉に付けた茶碗を拘って焼いた。 尤も気に入る出来のものはほとんど無かったが、 時には現在国宝の「楽焼白片身変茶碗」 のような傑作も生まれた。
人気者の真似をするのは世の常、他の職人も同じような茶碗を焼き始める。 商売上手は蕾付き椿の枝と「賀茂の本阿弥、椿見立て茶碗」との文句で売り出す。 尤も最初は売れたが真似物・まがい物の悲しさ長続きはしない。 残ったのは「賀茂の本阿弥の椿」。しばらく経つと「賀茂の本阿弥」、京訛りで「かもほんなみ」と呼ばれるようになったとか。
更に余談だがこの「かもほんなみ」、今では賀茂ではなく「加茂本阿弥」と書く。 現在では「かも」とつく椿の多くは「加茂~」の字を当てられている。比較的新しい品種についてはツバキの栽培家、加茂善治氏の名からと思われ関連性がない。 「かもほんなみ」について文献は残っていないが口述で名前が広まる過程で地名として「加茂」の方が圧倒的に多いため 賀茂ではなく連想されやすい加茂の文字当てられたのであろうと推測する.