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大鐸姫の特徴

クチクラのある緑の広い葉の中に大ぶりで淡白桃色の班の入った桃色の花を八重につける。 花弁元はやや締まり、花弁先は開くがあまり反らない。 満開後に向けて花弁先が少し反るがそれ以上は開かず花が枯れる。(写真 都立大島公園椿園)

大鐸姫(おおぬでひめ)管理者コメント

「鐸」は「銅鐸」の鐸と同じ。但しこの花の名前は瀬戸内小豆島大鐸の地名から。 島には古くからあったらしいが、命名は1976年と意外と新しい。 大ぶりで班の入った桃色の花を多数つけるため花だけでなく全木全体の印象も和種の椿としては珍しく非常に華々しい。

大鐸媛は日本の最古典、古事記のイザナミ・イザナミによる國生の過程で「いわゆる大八嶋を生まれた後、お帰りになる時に吉備の児島、またの名を建日方別をお生みになりました。次に小豆島、またの名を大野手神媛(大鐸神媛)をお生みになりました。(然後、還坐之時、生吉備兒嶋、亦名謂建日方別。次生小豆嶋、亦名謂大野手上比賣。)と出てきます。なお両神による国生みの過程で10番目に小豆島またの名を大鐸神媛は生まれたことになっています。

現在でも小豆島各地では産土神として祭られていますが、特に銚子渓の大野手姫神社は有名です。この神社は「銚子渓お猿の国自然動物公園」内にあり筆者も同公園には行ったことがあります。

これから先は筆者の古い記憶の話で椿も大鐸姫も関係なくなります。筆者の小学生の頃の修学旅行先は小豆島というのが定番でした。その旅程には小豆島のオリーブ園や小説二十四の瞳に出てくる分教場、島の光そうめん工場などに加えてお猿の国自然動物公園が組み込まれていました。ここで筆者は2つの衝撃を受けます。

一つ目。公園に入園してすぐに2匹のニホンザルと目が合いました。目を合わせてはいけないと言われてはいましたが好奇心が勝った私はじっと見つめ返しました。すると素早く私の膝に一撃を与えて逃げて行く猿たち、膝の傷からちょびっと血を流しながらしばらくびっくりしている私。…気を取り直して園内を進む私に2つ目の衝撃。こぶの付いた木の枝のようなものを不器用に背中に乗せながら歩いている猿。よく見ると、コブは顔。死んだ子猿を干からびるまで背中にしょっている母猿。当時その衝撃を表現する語彙を持っていませんでしたが、今振り返ると「母性の狂気を見た」衝撃でした。その修学旅行はそれなりに楽しんでいたはずなのですが、この二つが圧倒的な印象で他のことをほとんど覚えていません。

なお大鐸は銅鐸のこと。小豆島からは銅剣、銅鏡などが出土しており、銅鐸も当時島で重要なものとして扱われていたのでしょう。