光源氏(ひかるげんじ) - 花
和歌の浦(わかのうら)の特徴

江戸椿の代表的な品種の一つ。花は中輪の淡い紅色地に紅いの絞りが美しい。やや散り性で、木は立性。開花時期が椿としては遅めで2月中旬(伊豆大島)から4月頃(関東地方)までです。

江戸時代後期の文献にも名前が残っているが、現在の和歌の浦とはやや特徴が異なり別種あるいは変異の可能性もある不思議な品種です。

苗の入手も比較的容易で人気のある品種です。華やかさの割には育てやすい品種でまた立性なので庭木にしても纏めやすいと思います。但し薄紅地に紅色の絞りの花は写真で見る以上に庭で映えます。どう見せるか、腕の見せ所かもしれません。

和歌の浦(わかのうら)管理者コメント

江戸椿の代表的な品種ですが名前は和歌の浦。和歌の浦は和歌山県北部の地名で現在では「和歌浦」と表記します。

和歌の浦といえば「若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺を指して 鶴鳴き渡る」山辺赤人 が有名です。この歌の若の浦は記録と場所を検証すると現在の和歌の浦にほぼ間違いないようです。

この歌に出てくる「潟をなみ」が「片男波」に書き換えられて現在でも和歌の浦の近所の地名として残っているようです。勿論、「潟をなみ」の本来の意味は「潟がないので」です。意外なところが地名として残ったのです。

このつばきが何故和歌の浦なのかは来歴不明ですが、もしかすると和歌の浦に咲いていた薄紅地に紅絞りの椿を江戸に持ち込んだ誰かがいたのかもしれませんね。

光源氏(ひかるげんじ) - 花
潟をなみ 名詞 + を + 形容詞語幹 + み は原因を表す

「若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺を指して 鶴鳴き渡る」山辺赤人 の歌の「潟をなみ」は現代語に訳すと「潟がないので」です。歌全体を訳すと「和歌の浦に 潮が満ちてくると (干)潟がないので 葦の立っている方へ 鶴が鳴きながら移動していく」となります。

古典の試験ではこの文法は頻出で「ひとごとを しげみこちたみ おのが世に 未だ渡らぬ 朝川わたる」但馬皇女-「人々の噂や会話が 頻繁で言葉が痛いので 私の人生で 渡ったことのない 朝の川を渡ります」や「瀬を早み 岩にせかかる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」崇徳院-「流れが速いので 岩にかかりながら流れる 滝川が 一度分かれてその後 逢うように私たちも合いたいことだ」などが特に有名です。

一転、2020年時点の若者言葉には「わかりみ」なるものがあるそうで、意味を調べてみました…。がさっぱりわかりませんでした。強いて書くなら動詞としては「非常によくわかる」という意味で使用され、名詞としては「非常に強い共感を伴う理解」の意味で使われているようです。

古典より現代語の方が難しいってどういうことよ、と憤慨したくなるところですが「わかりみ」は10年後には死語になっているのではないかなあ。勿論「潟をなみ」は日本語が続く限り古語として残ることでしょう。